今更あまり書きたくないけどホンダのCEOと亜久里さん
記者会見の鈴木亜久里代表の言葉の中、、、、
本当に彼が無念に思っていたのは、、、
「僕は最大のパートナーであるホンダを信頼しているし、その判断には従う。でも、フライはあくまでHRF1のCEO であって、ホンダ(本社筋)のメンバーではない。僕にとってはフェラーリチームのCEOと同じ立場の人間になる。その彼が、なんで僕のチームのことをアレコレ言っていたのか、僕には理解できない。マグマグループを紹介してくれたことを感謝しますよ」と、亜久里代表は皮肉まじりにフライへの不快感を表明した
結果的にホンダの最終決断によりその命脈が絶たれた形の『スーパー・アグリ・F1』だが、ホンダに対して鈴木亜久里代表からは感謝の言葉こそあれ、恨み辛みになるような言葉は一切なかった。
ただし、ホンダF1チームのニック・フライCEOについては微妙な対応をみせている。
まず、Response さん、Niftyさんよく見逃さずこの記事を書いてくれました。
で、このような場合、誰のが悪いのか?、とか何が良くなかったのか?というのは無粋かもしれないけど、少なくとも、鈴木亜久里代表が記者会見で、思わずそう言ってしまったのは、彼にとってあまりにも無念だということだと思います。
振り返ってみれば、ホンダF1チームの前身はBAR。
その最終年である2004年、バトンと琢磨のコンビは大活躍し、コンストラクターズランキング2位という素晴らしい成績を残したあと、ホンダはBARを買収。
同年、バトンの契約問題が発生。
そして、2005年、Dリチャーズを追い出すカタチで、プロドライブから来たニック・フライがCEOに就任。
同年、2戦もの出場停止をくらったF1史上に残るペナルティを受ける。
そして、再度バトンの契約問題が再発
その間、秘密裏にバリチェロと契約。。。
それがきっかけとなり佐藤琢磨さんが追い出されるカタチとなり、スーパーアグリが発足。
ホンダが2005年、ニックフライを迎え入れた年、は混迷を極めた年となったのです。
2006年100%ホンダ・レーシング・F1 チームとなりながらも、2005年後半持ち直した傾向も現れながらも、その流れに乗れず。
2007年アースカラーというF1史上に残る不思議なカラーリングを採用。
更にホンダは絶不調を極め、何と、プライベーターであるスーパーアグリにも及ばない状況にまで陥ったのです。
つまり、2005年から3年間ホンダ・レーシング・F1チームは史上に残るトラブルを起こすわ、成績もダメダメだった訳で、F1の通例であれば、そのような惨憺たる結果を招くことになった最高責任者が今でもその座に居るのも、ホンダとしては甘いのじゃないのか?
そして彼が、もし不振の原因をHONDA本社がスーパーアグリに肩入れしていたことを原因としたのなら、、、、
マグマ・グループの仲介もニック・フライが行っていたようじゃありませんか、、、、
そして、最後の最後、鈴木代表に何も知らせず、SAの息を止めるトルコGPに入場を阻止した件、、、
鈴木亜久里さんの無念は相当だったことでしょう。
私としては、少なくとも今年はホンダ・レーシング・F1チームを、100%応援する気にはなれないのが正直なところです。
ホンダの公式発表はこちら。
「スーパーアグリF1チームの発表を受けて」
Hondaは、2005年スーパーアグリF1チーム設立以来、その趣旨に賛同し、エンジン提供をはじめ経済的支援を行ってきました。特に2007年以降、チームの財政状況が厳しさを増した中で、スポンサー、パートナー獲得にむけてチームと共に様々な話し合いを続けてきました。
2008年シーズン開始にあたり、チームの中期的かつ安定した運営を実現する為に、有力なパートナー候補であった英国 Magma Groupとの交渉をスーパーアグリF1チームが開始する中で、Hondaとしても様々なサポートを提案し3者間で合意にいたる段階まで達していましたが、Magma Group及びその資金提供者から突然、計画を中止する通告がありました。
その後も引き続き、最善の努力を重ねてまいりましたが、この度、鈴木亜久里代表から、チームが自立した運営基盤を確立する見通しが立たずF1活動から撤退するという説明を受けました。スーパーアグリF1チームのF1活動撤退は誠に残念な決定ではありますが、SAF1が自立し将来的にも安定した運営基盤が確保できない状況ではチームの決定はやむを得ないものと受け止めました。
2008年5月6日
本田技研工業株式会社
執行役員 広報・モータースポーツ担当
大島 裕志